臨床経済学的評価の2つの限界

 

 重要性は増しているものの、臨床経済学的な評価や効率の評価だけに頼ることには2つの意味で限界がある。

 第1に、医療・福祉には、効率以外にも重要な評価基準がある。医療・福祉にいっさい費用を投入しなくても(自然治癒力や自助努力により)助かる人は助かり、逆にいくら費用をかけてもすべての人を救命・救済できるわけではない。もし、効率面だけの一面的な評価に基づき治療法を選べば、医療行為や福祉制度による救済をいっさいしないという選択肢もあり得る。しかし、医学的効果が望める治療法が確立していない場合で乱何らかの治療を期待している患者に「根拠のある治療法はないから、何もしないで帰りなさい」と突き放すことは、多くの場合に最良の医療ではないであろう]司様に、明らかに社会的支援を必要としている人を放置するのは、先進国では許されないであろう。

 第2に、医療・福祉サービスの効果とそれに要しか費用の測定は、効率の評価に不可欠だが、もれなく測定するのは容易でない。費用対効果で効率を評価する方法は、概念としては魅力的でも、実際に測定するとなると、その方法に対しては多くの批判がある。例えば医療の効果は、延命など測りやすいものだけではない。疼痛や構神障害・身体障害の程度などの異なるものを、どのように比べるべきであろうか。その1つの試みが、上述のQALYである。しかし、主観的な評価も取り込んでいるという意味では優れているが、そのことによる制約をも併せ持っている。患者による評価と健康な第三者による評価とでは、結果が異なってしまうのである。若い健常な者は「そんな状態で生きるくらいなら死んだ方がましだ」と安易に口にするが、いざ実際にその状態(の患者)になると、生存を望む傾向がある。さらに、アウトカムだけでなく、医療のプロセスにおける満足度や納得感などは、評価の対象にしなくてよいのであろうか。

 つまり、医療経済的評価や効率面の評価に過度な期待をするのは、理念上も実際上も不適切である。医学的な評価(効果)だけに基づいて、例えば「一人の延命に30兆円(日本の国民医療費総額)かかっても構わない」という判断が非現実的であるように、効率だけに基づく判断も非現実なのである。いくつかの基準の組み合わせによる、多元的で総合的でバランスのとれた評価が必要なのである。