介護のイメージにある勘違い

 

 誰が考えても大変であるということは推測がつく介護ですが、実際、介護者は患者さん以上に辛く大変な状態にあると言っても過言ではありません。社会システムが物理的に整備されても、そこで働く人々の心身が正常に維持され得る状況がなければ、どんなにすぐれた設備も機能しません。

 そのような意味でも、介護者の心身をいかに守るかは大きな課題です。介護者がなすべきことは多々ありますが、そのなかで、介護者としてとるべき姿勢やものごとの受け止め方などをより具体的に考え直してみることが大切です。

 「介護」とか「ケア」といった言葉をよく見聞きしますが、「介護」は介助にポイントがあり、「ケア」は指導にポイントがあるというように、厳密には区別があるとする考えもあります。

 しかし、いずれにせよ、介護と聞くと、何らかの障害がある人の世話をしたり面倒を見たりすることを、ただひたすら一方的にしなくてはならないようなイメージがあるのではないでしょうか。しかし、それがそもそもの間違いであり、介護を実際以上に辛く受け止めさせる原因にもなっています。

 そこで、介護を、「世話をする」あるいは「面倒を見る」という言葉ではなく、「援助する」あるいは「助ける」という言葉に置き換えてみてはどうでしょうか。表面的に言葉を変えただけでも多少イメージが変わると思います。

 実際、介護の一番の本質は心理的な援助にあります。アルツハイマー型痴呆の患者さんは、病気によって痴呆状態となりながらも、何とかその人なりに生きようと頑張っています。それなのにうまくいかないことから不安や困惑を覚え、そこからさらに別のさまざまな症状が出てくることになります。

 生きるためのよりどころとなっていたものを認知障害によって次々に失い、自分自身の存在感さえ危うくなるような状態とはどのようなものでしょうか。介護者や身近にいる人は、患者さんのそうした状態を自分の立場に置き換えて想像し、その不安に共感できるようになることが必要です。

 これは、単に患者さんのためというより、最終的には介護者白身の構神的なストレスを軽減する方向につながっていきます。そのような共感があれば、義務感だけでいやいや介 護するのと違って、積極的な働きかけができるようになるからです。

 人間は、自発的に行っている限りにおいては、よほどのことがあっても構神的ストレスにさいなまれないばかりか、疲れも感じないものです。そのことは、趣味や遊び、あるいは恋愛などで誰しも体験済みでしょう。

 介護者の側にそのような自発的な姿勢がまずあって、実際の介護は可能になります。その結果、患者さん個々の心のあり方や生き方を理解し、個々の性質も尊重できるようになるだけでなく、それに沿った形で、残された機能を活用して生きていけるよう、さまざまな方向から援助することができるようになるわけです。