近代医学と伝統中国医学の関係


中国医学は悠久なる連続的歴史を持つ中国文化を背景に成り立っています。西暦紀元前数世紀から鍼灸療法、薬物療法などが発展し、それらを理論的に基礎づける経絡説、陰陽五行説なども早くから存在していました。それらの両方と理論的裏付けを総合的に記録した最初の古典が『黄帝内経』にほかなりません。この古典以降も多くの医学書が書かれ、それらは繰り返し注釈され、医療の実践に生かされてきました。西欧近代医学と同程度にまで理論化されているとは言えないまでも、その歴史が十分に尊重されるべき学問的伝統であることに疑問の余地はありません。

1970年代に近代科学の一部分として近代医学が批判の的になり、その代替技術として伝統中国医学、とりわけそれのわが国に定着した形態である薬物療法を中心とする漢方が反省なくもてはやされたことがありました。近代科学を正面からとらえようとせず、それと対照的なとこに批判的に走るがありました。鴎外のように近代西洋医学を物神化して、伝統的医療の知見からも学ぼうとする者もいました。

近代医学は近代科学的な要素主義的観点に立ちヒトを機械とみなすことによって、大きな成果を挙げることができました。そのことはだれも否定することはできないでしょう。しかし、それすら、欠陥商品であることを免れません。伝統中国医学の存在意義は、ヒトを機械とみなす近代医学のパラダイムとは別の視点から人を見て、医療を施す点にあります。その意味で、近代医学と伝統中国医学は相互に還元不可能な、歴史的科学哲学の用語でいえば、通約不可能な体系という関係にあるのです。ニーダムもいうように、中国の伝統的知識で西欧起源の近代科学技術にいまだ凌駕されていないものが医術であるのは、ミクロコスモスとしての人体の精妙さとそれに救った病に対処する技術の困難さによります。西洋近代医学が原子論的で分析的であるのに対して、中国医学の手続きは「広い知識の上に立った推理」なのです。