記憶力と知能の関係


 われわれがパソコンを学ぶのも、迷路に入れられた動物がエサのある所までゆく道すじをおぼえるのも、学習であるし、習慣の獲得である。科学や歴史を学ぶのは知識を学ぶのであって、運動の仕方を学ぶわけではないから、ふつう、記憶といわれるが、実際上は、知識の学習と運動の学習を分けることはできない。英語の会話に上達するには、舌や声帯の運動に関係のある発音の習慣を身につけるとともに、文法その他の知識を記憶しなければならない。記憶と習慣には本質的な区別はなく、記憶は知識に関係した習慣であるし、習慣は運動に関係した記憶だと考える人が多いのはこのためである。

 しかしながら、ベルクソンなどは記憶と習慣を区別する。

 私は英語を話すが、その一つ一つのコトバを「いつ」「どこで」おぼえたか知らない。いわば、身についているのだ。習慣である。

 記憶を核酸(このなかには、遺伝の暗号をつぎの世代に伝えてゆくDNAと、この暗号にしたがってアミノ酸[タンパク質を形成する]の配列の順序をきめるRNAがある)の中のRNAに関係づけて説明しようとする研究がある。ネズミにRNAを注射したり、RNAの合成を促進する物質を与えると学習がよく行われるし、RNAの合成を妨害する物質を与えると、ネズミが迷路を通ってエサの所にゆく学習がうまくゆかないというのである。とくに実験心理学的研究は、記憶といっても習慣および習慣記憶が中心であった。
 
 無意味なシラブル(クス、タノ、モホといったような)や数字などをおぼえさせて、一応、15なら15全部をそらで言えるようになるまでの回数をしらべたり、いったん、おぼえこませてしまってから、ある時間たって、どのくらい、おぽえているかをしらべて、おぼえてから経過する時間と忘れる率の関係を明らかにしたりした。

 過去の記憶の影響が入り込まないように無意味なシラブルを使うが、
意味のある言葉を用いて、「机‐親切」、「花‐うるさい」……といった対になっているものをおぼえさせ、一方を言って他方を思い出させるテストもある。

 一般に、記憶したものを再生させる方法、記憶したものを多くの材料のなかから再認させる方法、学習してからある時間たって、もう一度これを学習させて、どのくらい速くおぼえられるかを測る再学習法といったものがある。

 また、記憶するためにくりかえして学習するばあいに、一日八回ずつ三日のばあいと、一日四回ずつ六日および一日二回ずつに24日に分けるばあいとでは、回数からいうと、すべて二四回であるが、一日二回ずつのはあいが一番成績がよく、一日四回がこれにつぎ、一日八回で三日くりかえすのが一番成績が悪いこと、すなわち、間をおいた方がよいことが示された(ヨーストの法則)。とくに忘却については、一つの数字系列をおぼえさせ、すぐに第二の系列をおぼえさせるとき、さきの記憶が妨害されることや(後向き抑制、逆向き抑制)、前のものによって後の記憶が障害をうけること(前向き抑制、前進抑制)なども研究されたが、忘却の理論としては、記憶したものがゴタゴタして混乱するという説(干渉理論)、脳のなかの痕跡が消えてゆくという説(減衰理論)、ブレーキをかけられるという抑制説、それに属させることのできる精神分析理論(不快なことを忘れる)などが取上げられる。

 記憶力のよい人を頭がよいというが、未開人などでは知性を用いない記憶つまり機械的記憶の、はなはだよいものがあり、長い歌をその意味をまったく理解せずにおぼえて歌うもの、長い命令を一言ももらさず遠い距離の所まで伝えるものがあることが報告されている。

 知能の低いものでも機械的記憶では、すぐれているものがある。ある精神薄弱の者は、ある地区で行われた三五年以来のすべての葬式の日をおぼえており、何年何月何日には、どこの、だれだれのお葬式があったということを知っていた。いや、そればかりか、その人が死んだのは何歳のときで、葬式をした喪主の名前は何という人だったかも忘れていなかった。

 このような点から見ると、記憶がよいということが、ただちに頭がよいことにはならない。

 習慣記憶のために、知的な活動の関係したもの、すなわち、見通し、推理、判断などを用いることが多く、つぎにのべる記憶術には、そのような知的な活動が大幅にふくまれている。

 記憶術と称せられるものの一つは、無意味なものに意味をつけることであって、日本語はその点でとくに有利である゜

 言葉にすると、意味をもち、まとまっておぼえやすい。

 外国では「場所法」つまり、自分の知っている場所を頭に描いて、そのなかを想像で歩きながら、記憶すべきものを各々の場所においてゆく方法がよく使われる。

 記憶のよいという人で、機械的記憶にたよらず、知的な操作を大幅に用いる者が少なくない。

 たとえばミタブーが研究した人は、四九個の数字を一回きいただけで、すぐこれをおぼえ込み、上からも下からもいうことができた。このような記憶力によって計算力も驚異的なもの
となり、七ケタの数の立方根、ニケタの数の六乗ができたし、四〇ケタの数の一七乗根を一分間で解いた。彼のこの記憶力は機械的な記憶ではなかった。