肥満体質の医療システムを改革したデビット・ジョーンズ


デビッド・ジョーンズは普通は見えない道の先の先まで見通せる企業家です。1960年代のこと、彼は当時の医療システムの肥満体質を見抜きその減量のためにヒュマナ社を共同設立しました。

優れた知性と人格が絶妙に合わさったジョーンズの才能は、早くから明らかでした。彼は故郷のケンタッキーを離れ、イエール大学からそのロースクールに進み、おまけに公認会計士の資格まで在学中に取得しました。卒業後、彼は一生の事業パートナーとなる相棒とともに、問題解決のために若くて優秀な人材を必要としている分野はないかと探しました。二人はたちまち大きな問題を探り当てました。病院業界です。60年代にさえ、病院が問題を抱えていることは明らかでした。既に病院の数は多すぎ、コストがかかりすぎていました。ジョーンズは、この問題にあたるには二つの方法があると考えました。第一に、情報不足の病院業界に適切な会計原則を導入すれば、今の経営者より上手に病院経営ができそうでした。第二に、ウォール街が多数の病院を買い取る資金を出してくれさえすれば、スケール・メリットでコストを下げられそうでした。

ビジネス志向のジョーンズにとって、スケール・メリットは主として管理面にありました。ヒュマナは最終的に洗濯室から看護ステーションまで、病院のすべての部分のコストと産出高を計測する世界級の情報システムを開発するのですが、そのシステムは設計・運用に莫大な費用がかかるため、独立の病院が単独で導入するのは論外であり、多数の病院にコストを分散転嫁できてはじめて可能なものでした。

ジョーンズの才覚と熱意はウォール街の注目を浴び、使い放題に使えるだけの資金を集めることができました。一時は、同社が保有していた病院数は90を超えました。ジョーンズの経営は極めて効率的だったため、73年から85年の間にヒュマナの株式時価総額は35億ドル増加しました。特に財務志向の多くの資産家同様、ジョーンズは好んで自ら経営の舵取りを行いました。ほとんどだれもが認めるように、見事なまでに綿密な評価・報奨制度を使って、手綱をしっかり締めた病院経営を行いました。分散型から集中型に至る尺度を1から10で表すなら、ヒュマナは10の外側の境界線に位置していました。