アメリカで脳死状態になった場合

 アメリカでは、脳死状態になったときに、医師は家族に対してインフォームドーコンセントを行なう。その折りに三つの方法が示される。第一点が、このまま脳死状態をつづけて延命を図るか、つまり心臓死まで待つかという案。この場合の医療費は自己負担となる。第二点は、脳死状態になったので臓器の提供を承諾するという案。むろんこのときには本人の意思が尊重され、家族は本人の同意を得ていることが条件だ。医療費ぱ臓器の移植を受ける側が支払う。第三点は、脳死状態になったために一切の医療を打ち切るという案である。どの案を採るかは本人の権利を代行する者天体は配偶者とか親子になるが)によって決められる。

 尊厳死という考えは、第二点か、あるいは第三点から派生する。

 第一点は延命の受けいれであり、たとえ脳が死んでも肉体が暖かく呼吸も延命装置によって支えられているわけだが、その状態で心臓死まで見とどけるというのである。

 アメリカの医療費は、日本と比べてはるかに高い。保険にはいっていればまだしも、そのような経済的保証がなければ大体が第一点はあきらめる。それで第三点の側に回る。しかし、だからといってそれは尊厳死を認めたわけではない。尊厳死に関わりなく、「もう治療はしないで下さい」と申しでるのである。無意識の尊厳死-あえていえば、そういういい方ができると思う。

 第二点でぱ、臓器の提供を申しでた瞬間に、移植医療のスタッフたちに治療の主導権は移っていくが、尊厳死のリビング・ウイルがあれば脳死状態が移植医療の手に移るまでの短い時間にそれを受けいれるというかたちになる。これは、臓器移植主導の尊厳死であり、受け身の尊厳死といっていいだろう。

 脳死状態と尊厳死の関係で、尊厳死本来の意味が問われるのは第三点である。現代医学では、脳死はすでに脳の働きが不可逆的なものとして諒解されている。ただし、延命装置によって肉体的な生は続いているために、あたかも以前のように精神も戻るかのように思われるが、それはありうることではない。

 尊厳死はこの状態が宣告されたときに行なわれる。

 具体的には延命装置を外すことになるが、これを外すのは医師の医療行為である。アメリカのカレン事件では、父親がそのスイッチを外す権利を私に与えてほしいと法廷にもちだしたのだが、裁判所は尊厳死を認める医師の手によって行なわれなければならないと、その意を受けてくれる医師をさがすよう命じた。日本でも栃木県益子町の女性陶芸家のケースでは医師がその行為を行なっていて、尊厳死の厳格な基準は守られている。

 現在、日本では毎年八十万人余の死者がいる。そのうち脳死状態になる末期患者はおよそ一パーセントといわれている。八千人ほどがそのような状態になって病院の集中管理室(ICU)などで眠りつづけるのだ。

 このうち実際に人工延命装置のスイッチを切るというケースは、どれほどあるかは明確にはなっていない。しかしこれだけの脳死状態の患者がいながら、個々のケースがあまり表ざたにならない裏には、医師と患者の家族が積極的延命医療をさけるという暗黙の諒解のうえで治療を進めているとも推測される。

 その話し合いが毎日のように行なわれているのだろう。そこまでは日本社会に特有の阿吠の呼吸が、インフオームド・コンセントの代用になっていると思われるのだ。