ヒトは誰でも劣性遺伝病の原因遺伝子をもっている:近親婚のリスク

 近親婚で問題となるのは、遺伝病である。遺伝病とは、遺伝子の変異によってもたらされ、その変異遺伝子が親から子へ伝わることによって遺伝する病気である。

 遺伝病の多くは一つの遺伝子の変異によって起こる単一遺伝子病である。しかも、死に至るような重篤な病気は劣性遺伝する場合が多く、それはしばしば酵素タンパク質をつくる遺伝子の変異で引き起こされる。酵素を正常につくれないと生命維持にかかわる化学反応が進まず、障害が出ることが多いからだ。

 たとえば、フェニルケトン尿症という遺伝病がある。この病気ではアミノ酸の一つフェニルアラニンを分解するフェニルアラニン水酸化酵素をつくる遺伝子に変異があり、正常な酵素をつくれない。そのため脳にフェニルアラニンがたまり、知的障害を引き起こす。変異遺伝子がそのまま子に受け継がれることで病気が遺伝するのである。ただし、現在ではフェニルケトン尿症は出生直後の血液診断でわかり、フェニルアラニンを含まない食事療法で問題を生じさせないことができるようになっている。フェニルケトン尿症のような劣性遺伝病は、今まで判明しているもので二〇〇〇種類以上知られている。

 重篤な遺伝病が劣性遺伝するわけは、そもそも致死性の優性遺伝病は原因遺伝子を一本でももつと死に至るため、子孫が残せず、その病気が次世代に伝わらないからだ。ただし、繁殖年齢を過ぎてから発症する重篤な優性遺伝病は存続する。

 それに対して、劣性遺伝病の原因遺伝子は人に知られることなく隠れることができるので集団の中に存続し続け、なくなることがない。そして、ここが重要な点だが、人間は誰でも例外なく劣性遺伝病の原因遺伝子を必ず複数個もっているのだ。

 しかし、劣性遺伝病の原因遺伝子をもっているからといって、病気のもとをもっているわけではない。すべての人間がそれをもち問題なく暮らしている。劣性遺伝病は原因遺伝子が二つそろわないと発症しないので、当人がその遺伝子のせいで病気になることはありえない。すなわち、劣性遺伝病の原因遺伝子も単にその人のゲノムの一員であってそれ以上でもそれ以下でもないといえる。

 遺伝子に起こる変異の原因はさまざまある。空から降り注ぐ紫外線や放射線、これらは強い電離作用を持ち、DNAを傷つける。アメリカでの研究によると、人間が太陽の光に背中を一時間さらしただけで、皮膚の細胞一個につき、DNAが一万か所も損傷されていたという。また、ダイオキシンやタバコなどに含まれる有害化学物質など、一般に発ガン性物質と呼ばれるものもDNAにとって恐ろしい敵で、DNAを標的にし破壊する。

 さらに、細胞内で自然に生じる現象もDNAにダメージを与え続けている。熱をもつものはすべて小刻みに動いているが、この熱運動のためにDNAは細胞内のいろいろな分子と衝突を繰り返し、そのために化学反応が起こり変異が生じる。また細胞が分裂して増えるとき、DNAをコピーして増えていくわけだが、その際にDNA自身もコピーミスで変異を生む。

 このような遺伝子に起こる多々のトラブルは、ふつうDNAがみずから解決している。DNAは修復遺伝子をもっていて、自分に生じた変異をせっせと修復しているのだ。修復機構は生命にとって欠くことのできない要素で、あらゆる生物が共通にもっている。進化の上でヒトと遠く離れた存在である酵母菌でさえ、その修復遺伝子の塩基配列はヒトとそっくりだ。

 ふつう、DNAに生じた変異は修復され、問題は生じない。修復には二重らせん構造が役立っており、片方のDNAが損傷を受けても、もう片方が鋳型となって正確な修復がなされる。

 ところが、二本のDNAの同じ箇所が壊れたり修復にミスが生じたりすると、DNAに変異が蓄積されてしまうことになる。修復遺伝子自身にも変異が生じることがある。そうなれば、その細胞はDNAの修復がまったくできなくなり、異常なタンパク質をつくり、また細胞分裂によって同じ変異をもつ細胞の数を増やしていくことになる。このようにして、変異が蓄積した結果暴走をはじめた細胞かガンとなるのだ。

 もっとも、体の細胞(体細胞)で生じたDNAの変異は、それが蓄積しガン化しようとも、子供には遺伝しない。遺伝するには生殖細胞のDNAに変異がある必要があるわけで、それが「ぽとんどのガンは遺伝しない」理由である。つまり遺伝する病気とは、もとをたどれば生殖緇胞にたまたま生じたDNAの変異が、確率的な偶然性で子に受けわたされたことによって発生したものなのだ。しかも劣性遺伝病の場合は、両親の生殖細胞か同じ遺伝子に変異をもち、それを積んだ精子卵子が受精した場合にのみ発症する。

 ここで、なぜ劣性遺伝子一つでは病気にならないかといえば、ヒトがゲノムをニセットもっているからだ。たとえば酵素タンパク質の遺伝子を考えると、片方の親から変異遺伝子をもらい、その遺伝子が正常な酵素をつくれないとしても、もう片方の遺伝子が正常な酵素をつくることでそれをカバーできる。ニセットのゲノムをもっていることは、一セットしかもだない場合に比べて生存にはるかに有利なのだ。

 ヒトは誰でも劣性遺伝病の原因遺伝子をもっているとはいえ、大きな集団の中では、各個人がもっている原因遺伝子は多様だ。だから、お見合いにしろ恋愛にしろ結婚して結ばれるカップルが同じ原因遺伝子をもっている確率は小さい。

 しかし、近親婚の場合はそうではない。カップルはごく近い共通の祖先をもつため、その人から同じ劣性遺伝病の原因遺伝子をもらっていることがどうしても多くなる。そのため、広い範囲からパートナーを選ぶ場合に比べて、生まれてくる子供が原因遺伝子を二つもってしまう確率が高くなってしまう。

 近親婚では通常の結婚に比べて劣性遺伝病が出やすいため、ほとんどの国では近親婚が禁じられている。日本では三親等以内(親子、兄妹・姉弟、おじ・姪、おば・甥など)の結婚が民法で禁じられている。では、四親等にあたる。いとこ”どうしの結婚なら問題がないかというと、法律では問題なくとも、生物学的には必ずしもそうとはいえない。’

 「先天性メラニン欠乏症」という黒い髪や日焼けした肌の色である黒いメラニン色素が欠乏しているため全身が真っ白になる、俗に「白子」と呼ばれる病気がある。日本人では四万人に一人という珍しい劣性遺伝病だが、その半数はいとこどうしの結婚によって生まれている。また、先のフェニルケトン尿症も発生頻度は七万人に一人で、やはり半数が近親婚で生まれている。

 いとこどうしの婚姻による弊害についてアメリカ人研究者が日本で調査したデータがある。それによると、新生児の死亡率は他人婚で一・九%であるのに対して、いとこ婚では二・九%とほぼ二倍。生後八年までの死亡率は他人婚でI・五%であるのに対して、いとこ婚では四・六%と三倍であった。近親婚では他人婚に比べて、生まれてくる赤ん坊が背負わされるリスク小大きいことは明白である。

 一九四七年以前では、日本の近親婚率は一五%を超えており、その後徐々に割合が減少している。六七年から七二年の間に結婚したカップルでは近親婚率は三%となっている。近親婚率が減少した理由には、経済・交通の発達による生活圏の拡大や女性の社会進出にともなって異性と出会うチャンスが増えたこと、そして自由恋愛での結婚がふつうになってきたことが挙げられるだろう。また、近親婚による弊害が知識として普及した点も見逃せない。

 一九八〇年代の近親婚率の調査によれば、パキスタンで四二~八四%、スーダンで六〇%と非常な高率を示している。続いて、サウジアラビアクウェート、ヨルダンというアラブ諸国とナイジェリアが五〇%を超える結果であった。対して、欧米先進国では軒並み1%以下で、日本よりもさらに一桁小さい数値になっている。