カイネティックスは一致しない

 

 このデータをもう一度詳細に見てみよう。科学論文では、データの提示方法はできるだけわかりやすくするのは当然のことであるが、論文の執筆者の意図として、できるだけ自分のロジックに含致していることを強調したい、ということがある。強調したいがために、不必要なデータや邪魔なデータを削除することはデータ操作であり、もし都合のよいデータを付け加えたりすれば、もちろんそれはデータ捏造であり、絶対に許されることではない。

 

 (そしてそのような虚偽が行われているかどうかは、提示データを見ただけではわからないことがほとんどである。不正論文が明らかになるのはほとんどが内部告発なのはそのためである)

 

 しかし、一方、データ表示の方法を工夫することによって、論点を強調することは許される。その工夫を読み解くことが、科学論文をより深く理解するために必要になることがある。さてそう思ってプルシナー論文のこのデータを見てみると、すこし変わったことに気がつく。データの横軸、つまり時間経過を表す軸が対数目盛りになっていることである。10とは一〇分、つまりプロティナーゼKの処理時問が一〇分ということであり、102は1〇〇分、103は1000分、つまり約一七時間の処理ということである。時問経週における変化を表すとき、時問自体を対数目盛りで表示することは、私たちの扱う生命料学分野ではあまり普通のことではない。対数目盛りを使うのは、変化量のダイナミックレンジが大きい場合(変化量が、基礎値から数子倍にも変化するような現象のとき)であり、それは普通、縦軸として使われる。現に、このデータでは劇的に変化する異常型プリオンタンパク質の残存量と感染力価(病原性)の量はともに対数で縦軸にとってある。本来、リニアに経週する時間を93ページの図4-3のグラフのように対数目盛りで表現すると、時間と時問の問の微妙な変化がかえって見えにくくなることのほうが多い。

 

 図6-1左列は、プルシナーのデータを、縦軸はそのままとし、横軸を普通のリニアな時間軸にしたグラフに各データをプロットしなおしたものである(米国の研究者ローワー博士の論文を改変して作成した)。

 

 プルシナー論文では、異常型プリオンタンパク質の減少と感染性の減少は一致して変化するように見えるが、対数でない普通の時間軸に取り直してみると、両者の変化は必ずしも一致していない。異常型プリオンタンパク質の減少量は、かなり早い時問に急速に減少するが、そのとき感染力はそれはど減少していないことがわかる。両者の減少は決して。同程度”ではない。ブロディテーゼKの濃度が低い場含(一〇〇マイクログラム/回、異常型プリオンタンパク質は反応二〇〇分後には約八〇分の一に減少し、五〇〇分後には一〇〇〇分の一 言れははぼ完全に分解された基底値と考えてよい)となる。しかし、この時点までに感染力はあまり変化していない。感染力が大きく減少するのは(一〇〇〇分の一以下になるのは)、この二倍の時間が経週した反応後一〇〇〇分のことである。

 

 つまり、このデータを虚心坦懐に解釈すると、両者の減少は一致しているどころか、異常型プリオンタンパク質はよりプロティナーゼKによって分解されやすいが、感染力すなわち病原体

プリオン説はほんとうか?』福岡伸一著より