コドモの知能発達の諸段階


コドモは身体が大きくなるとともに、さまざまな能力を示すようになる。つまり、身体も精神も量的に増大する。これが自然的な「成長」である。しかし、その知的能力は社会によって影響されるし、質的な変化を受ける。これを示すのが社会から隔離されて育った「野生児」と「孤立児」である。

 質的変化を強調するときに、「発達」と言い、この研究の分野を発達心理学と称する。

 ダーウィンやプライヤーののち、ビネが児童心理の研究に画期的な業績を残したが、スタンレー・ホールは青年心理学さらに老年心理学の先駆者となった。老衰を「発達」に入れるのはおかしいと思われるかも知れないが、年齢による質的変化をすべて、発達心理学で扱うのがふつうである。

 むろん、児童心理学は発達心理学の中心であって、ピアジェ、ゲゼル、シャルロごJ・ビュラーといった学者はその代表者である・またヽオトナの心のなかにある過去の経験をさかのって分析し、コドモの心理を論じているフロイトも発達心理学者に入れるべきだという学者もある。

 このうち、ピアジェはとくにコドモに特有の心理を強調した。以前にはコドモはオトナを小さくしたもので、オトナが10もっているものをコドモは五とか三とかしかもっていないのだ
といった考えをもつ人が多かった。ピアジェはコドモをそのまま観察して(医者が患者を診察するのに似ているので「臨床法」とよんだ)、このコドモの心理とオトナの心理とでは質がちがうことを説き、同時にJド七の精神がどのように発達してゆくのか、どんな発達段階を区別できるかを論じたのである。

 赤ん坊は外界を認め、外界に働きかける場合に、二つとか三つとかの簡単な方式をもっている。指を吸うようになると何でも吸ってみる。物をつかめるようになると何でもつかんでみる。

 ごの方式をピアジェは「シェマ」とよんだ。そしてシェマにあわせようとする試みを「同化」といい、それぞれの場合に応じてシェマを選ぶのを「調節」とよび、人間の行動を「同化」と「調節」の「均衡」だと解釈した。

 もう少しわかりやすく、年長の少年の場合で説明すれば、彼が練習する野球でのバッティングの型は一つのシェマで、これに合った方式で型通りにバッ卜を振るのが同化、その時の投手のなげてくるボールに対してバッターが、適当な振り方を選ぶのが調節ということになる。

 コドモの知能の発達は、同化と調節の均衡化を通じて発展する。

 コドモの知能の発達には四段階がある。

 感覚運動的知能期-生れてから二歳までの時期の知能の段階で、思考とか言語を使わず、感じて反応するだけの時期である。この時期の初めのころには、見えないものは存在しな
いと感じているが、この時期の間にだんだんにその存在がわかり始める。

 前操作的思考期-二歳から七歳までの時期で、考え方が自己中心的で自分の好き嫌いで判断するだけである。この時期になると、見えないものも客観的に存在しているということ
がはっきりわかる。何かについて考えること、つまり心のなかに物のイメージを持ち得るようになる。

 コドモはある人が行なったことを見て、少したってからも、それをまねることが可能になる。言語を使うようになるのは、この時期である。

 しかし、この時期のコドモに粘土のかたまりを見せておいて、つぎにこれを細長くしてみせると「大きくなった」という。つまり変形前のもとの形にして考えること(可逆的思考)ができないのである。

 具体的思考操作期-小学校時代(七歳から青年前期)で、この時期には可逆的思考ができるようになって、粘土をもとの形に戻して考えることができる。抽象的な考
え方は発達していないが、具体的には推理できる。分類が可能になって、エンピツ箱にいくつかのエンピツが入っていて、これが赤エンピツと青エンピツの二種であるとき、赤エンピツは箱のなかのエンピツ全体より少ないことを理解する。数学の「群」の考えに相当するとして、ピアジェはこれを群性体とよんだ。

 形式的思考操作期-物事を具体的操作で考えるだけでなく、仮説的に考えたり、抽象的なものについて考え得るようになる。

 つりあっているてんびんの片方を下げるためにどうすればよいか。片方に重さを加えることも支点を動かすことも、具体的操作期のロドモには、すでに理解できた。しかし、形式的思
操作期になってはじめて、支点からの距離と重さをいっしょにして考えることが可能になるのである。